知りたいことが多すぎる。でも、たぶんそれでいい

視点採集

最近、知りたいことが多すぎます。

英語を勉強したい。韓国語も読めるようになりたい。
美術のことももっと知りたいし、建築も見て回りたい。
写真もうまくなりたい。もちろんゲームもやりたい。
好きなゲームについて考えたことも、もっとブログに残したい。

改めて並べてみると、ほんとに多いですね。

しかも困ったことに、どれも「ちょっと興味ある」くらいではなくて、ちゃんとやってみたい。

昔の私だったら、

「こんなに手を広げて大丈夫なのかな」

と思っていた気がします。

何か一つに絞ったほうがいいんじゃないか。
どうせやるなら、ちゃんと身につけたほうがいいんじゃないか。

それも間違ってはいないと思います。

でも最近は、別に全部を一つに絞らなくてもいいんじゃないかな、と思うようになりました。

知ると、見えるものが増える

私はたぶん、「知識をたくさん持っていたい」というより、

今まで見えていなかったものが見えるようになること

が好きなんだと思います。

たとえば建築。

以前なら、街を歩いていて気になる建物を見つけても、

「なんかいいな、この建物」

くらいで終わっていました。

もちろん、それだけでも楽しいです。

でも少し建築のことを知ると、

「この形、なんでこうなってるんだろう」
「この装飾って、どこかで見たことあるな」
「隣の建物とは全然雰囲気が違うな」

みたいに、気になるところが増えてきます。

美術館でもそうでした。

最初は「暗いな」とか「この絵好きだな」とか、そんな感想だったものが、画家のことや時代背景を少し知ると、

「ああ、だからこう描いたのかもしれない」

と、それまでとは違う見方ができるようになる。

同じものを見ているのに、知る前と知ったあとでは、見える景色がちょっと違う。

これが面白いんですよね。

全然違うことが、急につながる

それと最近面白いなと思っているのが、

一見関係なさそうなことが、あとから勝手につながってくることです。

建築を知ると、ゲームの街並みが気になる。

美術を知ると、ゲームの色や構図が気になる。

英語が分かるようになれば、好きなゲームや映画のセリフも、翻訳とは少し違った見え方をするかもしれない。

写真を勉強したら、

「この景色、なんでこんなにきれいに見えるんだろう」

ということも、今より少し分かるようになるかもしれません。

別に最初から、

「この知識をゲーム考察に使おう!」

と思って勉強しているわけではありません。

ただ気になったものを追いかけているだけです。

それなのに、ある日ふと、

「あれ、これって前に見た話とつながってない?」

となる。

私はあの瞬間がかなり好きです。

専門家になりたいわけではないのかもしれない

もちろん、一つのことをずっと掘り続けている人はすごいです。

そこまで深く潜った人にしか見えない景色は、絶対にあると思います。

ただ、少なくとも趣味については、私は何か一つの専門家になりたいという感じではないのかもしれません。

それより、

建築を見る目がちょっと増える。
美術を見る目がちょっと増える。
言葉を見る目がちょっと増える。
ゲームを見る目がちょっと増える。

そんなふうに、いろんな「見方」を持っていたいです。

知らなければ素通りしていたものに気づけるようになる。

なんとなく好きだったものに、

「私はここが好きだったんだ」

と気づけるようになる。

それだけでも、日常はけっこう面白くなる気がします。

知りたいことが多すぎる。でも、たぶんそれでいい

ということで、今の私は知りたいことが多すぎます。

ゲームもしたい。
美術館にも行きたい。
建物も見たい。
英語も韓国語もやりたい。
写真も撮りたい。

全部ちゃんとできるのかと言われると、たぶん無理です。

途中で飽きるものもあると思います。

しばらく放置して、何年後かにまた興味を持つものもあるかもしれません。

でも、それでいいのかなと思っています。

そのとき面白いと思ったものを、ちょっと知ってみる。

すると、その知識が思わぬところからひょこっと顔を出すことがある。

そうやって自分の中に少しずつ「見るためのレンズ」が増えていけば、同じ景色でも、前よりちょっと面白く見える。

私にとって「知る」ということは、たぶんそういうものなんだと思います。

最近、そのことを特に感じているのがゲームです。

ゲームをしているはずなのに、建物を眺めたり、街灯を見たり、看板を読んだり、そこに暮らしている人たちを観察したり。

昔なら背景として通り過ぎていたものに、いつの間にか足を止めるようになりました。

その話も、今度ゆっくり書いてみたいと思います。

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